📔 日記

日記のなかで遠慮する


他人の日記を読むのは楽しいです。
好きな作家や偉人がいると、その人の書簡集や日記集をかならず探してしまいます。

最近たまたま知った情報なのですが、他人の日記を読むイベントが去年に大阪であったそうです。
他にも調べてみると、手帳や日記を収集した図書館とか、誰かの日記を印刷した日記本の即売会とか、その読書会なども存在するようで、興味を持ちました。
近くでそんな催しがあれば行ってみたいです。

自分も日記をつけています。
でも、他人に見せない前提でありながら、自分が死んだあとには誰かに覗かれるかも……と想像してしまい、どうしても構えてしまいます。
例え他人の目がなかったとしても、ありのままの感情を吐露するのは、自分自身が読んで恥ずかしいので、つい生の声を「書き言葉」に変換して整えてしまいます。
誰もいない日記の中ですら自分自身に向かってカッコつけている体裁屋なのです。

自分が日記を書くようになって、そこにはけっして全てを書けないことを知りました。だから他人の日記もまた、書いた人の真実でもなければ、全体でもないということを理解しました。

言葉は、コンピュータや宇宙船や核爆弾を作れるくらい、人間を自由にしましたが、人間自身の心の内を記述にするには、まだ圧倒的に不便で不自由な道具です。
人間は、言葉の檻に閉じ込められている獣だと思います。

言えないことのほうが多いのが言葉です。
だからこそ、他人の言葉には、何を言ったかより、何を言えなかったかに耳を傾けられるようになりたいと思っています。


“大切にしたいのは、世界をじっと黙って見つめることができるような、そのようなことばです。”
「すべてきみに宛てた手紙」長田弘

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