📔 日記
人間失格
2026/6/21
さいきんの自分は醜く堕落してしまった。自分のものではないものに手を出して、自分のものにならないことに勝手に悶絶している。行き場のない不安と焦燥に絶叫したくなる。そんな自分の目に「人間失格」の文字がとまった。太宰治の本だった。題名が自分のことだと思った。自分のことが書いてあるに違いないと思った。今まで太宰はなんとなく避けてきたのだが、近頃読んだ短編の「富岳百景」と「東京八景」が思いのほか気に入ったので、次のタイトルとして「人間失格」を手に取ってみた。そうして一気に読み耽った。
憂うつの対処療法としてこの手段は成功だった。内容は駄目人間の不道徳で退廃的な遍歴に終始しているのだが、読み終わると不思議に気分が明るくなった。「手記」の最後に、主人公が自らの悲劇を、喜劇として笑う箇所で、読者の自分も笑った。そうして、現実の自分に起こっている悲劇も、喜劇のような気がしてきた。運命がどちらに転んでも、どっちでもいいと思えてきた。
買う前に躊躇して「人間失格」の評価を検索したら、暗く不道徳な内容に不快を感じる読者も少なくないようだった。しかし読んでみて自分には暗さも不快さも感じなかった。現代の読者はなんて善良で清潔で高尚な方々ばかりなのだろうと、皮肉に思った。己の醜悪さに無自覚な、浅薄な現代人を軽蔑したくなる。あるいは、自分が抵抗を感じないのは、自分が太宰と同程度の底辺だからかもしれない。
ともあれ「人間失格」は自分が苛まれている今この瞬間の苦悶を慰めてくれた。どん底の気分から救ってくれた。漱石の「こころ」のように、孤独な自分の愛読書の一つになるかもしれない。